内的世界旅行

考え過ぎた時にテイクオフ

なぜ働き始められないのか

私はなぜ働き始められないのか。最近はこればかり考えている。

 

むね肉じゃなくてもも肉を買いたい。ふらっと寄ったABCマートで気に入った靴を買ってみたい。HUBで1Pintのビールを気兼ねなく飲みたい。ボウリングで満足するまで投げたい。八百屋のイチゴを買いたい。セブンイレブンのおっきいポップコーンを食べたい。2駅ぐらい先でも電車に乗って移動したい。コンロの数が多い家に引っ越したい。直近で我慢したことはこんな感じだろうか。まあ、とにかくお金がない。

 

お金もないけど、それ以上に就活で自分を説明する勇気がない。今は説明する言葉も持ち合わせていない。「人より少し心配性で考え過ぎてしまう」以上の説明がない。理解していないものを他人に説明することはできない。時間が永遠に止まっているようで、状況が好転しない。だから、お金がない。

 

はっきりと明確なトラウマがある。一昨年の夏に引きこもり状態だったとき、新しいバイトに思い切って応募したことがあった。そのバイトはリモートでよかったし、自分の長所が生かせそうだった。面接の時に今の自分のことについて、主に病について説明した。言うか悩んだけれど、一緒に働く上で理解してもらいたかったためである。すぐに苦しそうな顔をされた。時間が経ってメールで連絡があり、結果は不採用。カミングアウトした時点で覚悟はしていたので、結果に関してはほぼノーダメージだった。病以外に原因があったかもしれないし、自分より良い人が居たということだと思う。ただ、面接官の表情はこうかばつぐんだった。カミングアウトしたことは後悔していない。そして面接官の対応に問題があったとも思っていない。ただ、シンプルにイメージが悪いものなんだなと理解した。面接官の何倍も苦しい表情をしていたと思う。

 

だから、本当に自分を受け入れてくれる職場なんてないのではないか?と思うようになってしまった 世間は精神疾患に対してとても冷たい 極太の線を引いてきやがる みんな悩んでいて、すぐそこまできているのに もう診断が出るレベルまでボロボロの人もいっぱいいるのに 健常者から見たこちらの世界ははるか遠くなのかもしれないが、こちらの世界からそちらを見た時はすぐ近くに見えているぞ

 

まあ自分以外に変化を求めても無駄なので、矢印を自分に戻す。(書きながら思ったがここ半年の自分はここで思考が止まっていた。世間の精神疾患へのイメージに悲しんで終わりになっている。)今の自分に足りないのはおそらく「自分を説明する勇気」である。上でも触れた。会社や人事が病をどう思うかは変えられないけれど、説明さえすれば病へのイメージと切り離した「自分」として見てもらうことができるんじゃないか。

 

なんだか会社にエントリーできそうな気がしてきた。自己理解が完璧じゃなくても、そのときにわかっている範囲で自分を説明する。空白期間のことも。(完璧主義が邪魔をしている、どこまで行っても自己理解に完璧なんてないのに)多分できるぞ。

 

ただ説明する相手はしっかり選ばないといけない。いくら勇気があってもむやみやたらに説明できるわけではない。私にも残りHPがある。余計な傷を増やさないように、仲間になってくれそうな企業を探す。会社に必要とされたいのは事実だが、選ばれることばかり考えず、選ぶ意識も忘れずに。

 

客観的に自分を見る難しさ、そして言葉にしてみることの大切さを学べた気がする。定期的にまた来ようと思う。